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NPO法人ヒューレック研究会

NPO法人ヒューレック研究会のblogです

NPOヒューレック研究会「ワクワク」2010」

(2010.5.17.号)
「戦場から女優へ」
5月度・月例会・特別講演録・講師 サヘル・ローズさん
第2章 私のところへ来る?

(前号から続く)
3.あの人との再会
(1)1年後の再会

 孤児院に入って1年余りが経ち、私は5歳になりました。
  ある日の午後「あなたに会いたがっている人がいますよ」と言われ「一体、誰なのだろうと思いながら、面会場 に 向いました。なかに入ると一人の女性が養育係と話をしていました。
 あれ?この声どこかで聞いたことがらう!もしかして・・・。
そう思いながら近づくと、その女性が振り返りました。
そこにいたのは、瓦礫のなかに埋まっている私を発見してくれた命の恩人、「フローラ」です!
 私はうれしさのあまり、ダッシュで駆け寄って抱きつきました。
どう表現していいのかわからない。それくらい、すごく、すごく、うれしくてたまりませんでした。
 もう離れたくない・・・。そんな気持ちで一杯になり、しばらくギューッと抱きついていました。それから膝の上にのっけてもらいましたが、なにを話していいのかわからなかった。
「フローラ」はしがみついている私にいいました。「あなたに会いたかったのよ。元気だった?大丈夫なの?」
私は精一杯の笑顔で、「うん、大丈夫だよ。楽しいよ。『ママ』はどうしていたの?」そとき私は彼女のことを、無意識のうちに「ママ」と呼んでいたのです。
「シンガポールに行ったりしていたのよ。まだここにいたのね」
(2)テレビ・コマーシャルを見て
  彼女は、私がおかれている状況を知っていました。
  実は、経済状況の悪化で、孤児の数が急増したものの引き取り先がなかなか見つからず、孤児院がパンク状態に な っていたため、イラン政府が、里親探しのテレビ・コマーシャルを製作し、ながしていたのです。この孤児院からも10人が出演し、最後に私が映され、「親を探がしています。私たちをもらってください」というセリフで終わるのですが、そのコマーシャルを「フローラ」が見ていたのです。
 「この、テレビであなたを見たのよ。それで、まだ。孤児院にいると知ってここに来たの」
  私は嬉しさのあまり、孤児院での出来事を思いつくままに話しました。「フローラ」は、私の話を優しく聞いてくれました。
(3)「今日連れていってくれる・・・」  
「フローラが帰ろうとしたとき、咄嗟に私は、「今日、連れて行ってくれるの?」とききました。
  彼女は私を見て「ごめんね、それはできないの」
  私は悲しくなって、なきながら「フローら」にしがみつきました。
  「嫌だ、はなれたくない。お願い。一緒に連れて行って・・・」
  しかし、フローラは、わたしの手をとって「また、すぐにくるから」 
 と穏やかな笑顔でいい、帰っていきました。
(以下次号に続く)
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NPOヒューレック研究会「ワクワク」2010」

(2010.5.16.号)
「戦場から女優へ」
5月度・月例会・特別講演録・講師 サヘル・ローズさん
第2章 私のところへ来る?

(前号から続く)
2.決戦は金曜日 
 孤児院では、1週間に1回、休日となる金曜日に子どもを引き取りたいという夫婦を招いて「オーディション」が開催されます。イランではどうしても子どもができない夫婦に限って孤児院の子と養子縁組が認められるので、金曜日になると夫婦が養子にしたい子どもを探しにやってきます。
  そのような夫婦は年配の人たちが多く、誰もが優しそうな、穏やかな顔をしていて、本当に自分たちの子どもとして育てようとする気持ちが伝わってきます。
  見学にきた夫婦が帰ると、決まって何人かが孤児院からいなくなることに私は気づきました。
  私たちは、毎週金曜日になると、いかに自分をかわいらしく見せるか必死で考え、ありったけの笑顔を振りまいて一生懸命アピールしました。
  毎週金曜日のオーディションに、落ち続けることによって、私は夫婦がいったいどんな子が欲しいのか、わかってくるようになりました。
 たとえば、親の記憶ほとんどインプットされていないような、2~3 
 歳くらいのかわいい小さな子が人気なのです。
 そう考えると4歳くらいが、ぎりぎり。つまり、5歳になろうとしていた私は、まず年齢的にまずチャンスはなかった・・・。
 さらに空爆によって家族全員を突然失うという経験をしているので、精神的に不安定ではないかとみなされ、いつまでたっても「白羽の矢」が立つことは、ありませんでした。
(以下次号に続く)
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NPOヒューレック研究会「ワクワク2010」

(2010.5.15.号)
「戦場から女優へ」
5月度・月例会・特別講演録・講師 サヘル・ローズさん
第2章 私のところへ来る?

(前号から続く)
1. 孤児院へ
(1)天国のような病院の日々

  「みんなはどこ?」
 体がだいぶ良くなって、私はベッドのそばにいる「フローラ」に聞きました。僅かな沈黙のあと、彼女は私の目を見てこう言いました。
  「みんないなくなってしまったの」
 最初は、何を言っているのかわからず「フローラ」をじっと見ました
  「お母さんや、お父さんは?」
 彼女は、私をじっと見てこう言ったのです。
  「みんな死んでしまったのよ。生き残ったのはあなただけ」
 そこでようやく事実を理解したのです。たちまち涙が溢れてきて、気づいたときには、大きな声で泣いていました。
  予感はあったけれど、とうとうひとりぼっちになってしまった・・・。
  いっぽうで、自分でも不思議なのですが、心の奥底では「フローラがいるから大丈夫」と信じていたのです。
  しかし、天国のような病院の日々は続かなかった。回復した私を待ていたのは、退院という過酷な現実への入り口でした。戻る家もなく、引き取り手もいない私にとって、孤児院にいくことしか道はなかったのです。
  退院の日「フローラ」は私をギュッと抱きしめてて、お別れを言って帰りました。私は「これからも毎日会える」と思い込んでいました。
 でも、テヘランの孤児院行ってからは、「フローラ」に会うことはなかった・・・。
(2)新しい人生のスタート
   私は、孤児院がどういうところなのか、まったくしらなかった。不安でいっぱいになりながら、新しい人生がスタートしました。
  私は、両親から、本名で呼ばれていなかったので、ほんとうの名前をしりません。孤児院での私の新しい名前は、「ナリゲス」。
   孤児院では、30~40名の子どもが一緒に生活していて、心配していたよりは、以外に楽しそうだなというのが、最初の印象でした。
  (以下次号に続く)
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NPOヒューレック研究会「ワクワク」2010」

(2010.5.14.号)
「戦場から女優へ」
5月度・月例会・特別講演録・講師 サヘル・ローズさん
第1章 戦場に咲いた奇跡の青い花

(前号から続く)
4.鏡の衝撃
(1)初めて見た鏡
 
 体もだいぶ良くなり、ようやくベッドから起きだすことができるようになったある日、病室の中を歩いてみました。そのとき壁にかかっている鏡を発見したのです。
  私にとって鏡は、初めて見る不思議なものでした。覗き込んだ瞬間驚きました。なんとそこには、もう一人の私がいる!
  それまで私は、川に映るぼんやりした自分しか見ていなかったので、鏡の中にある、くっきりした自分の姿を見たときは衝撃的でした。
(2)鏡とケンカ
「あなたは、鏡とよくケンカをしていたのよ」と、フローラから聞かされたことがあります。
  たしかに鏡を見て「この人嫌い」と言って、自分を指し、怒ったり、泣いたりして、「なんで私のまねばかりするの!」と、鏡の中の自分と格闘していた記憶があります。動物みたい。それを鏡と認識するのには、多少時間がかかりました。
(3)白い顔
  (3)白い顔
  さらに、鏡を見て驚いたことが、もう一つあります。家族も町の人々も、誰もが貧しかったため、お風呂に満足に入ることができず、私は、人は、泥がついて茶色の顔をしているのだと思っていました。
 ところが、鏡に映っている自分は、土がついていなくて白い!
 そこで、初めて自分の本来の肌の色を知ったのです。
(4)私は鏡が好き
 私は鏡が好きです。なぜなら、泣きたいとき、つらいとき、必ず鏡が私を落ち着かせてくれるから、ケンカをしていた鏡のなかの自分を見て、「落ち着け、落ち着け」と話しかけることで、自分自身を落ち着かせます。あんなに嫌いでった鏡ですが、今では私の友だちです。
(5)新しい発見の数々
  ① 髪の毛もちゃんと洗ったことのなかった私の髪は、いつもゴワゴワ・ベトベトしているのが普通と思っていました。
    でも病院で自分の髪の毛に触れたとき、あまりにサラサラしているのに驚き、新鮮な感触でした。
  ② 新しいことをいっぱい発見する病室で、次に私が発見したこと、それは階段でした。それまで、階段の上り下りすらわからなかった私は、「四ツン這い」で一段一段這っていたそうですが、階段の登り降りも「フローラ」が教えてくれました。
  ③ 病院の中で私が特に楽しみにしていたのは、ご飯の時間です。
    なぜなら、病院のご飯は、それまでに食べていたものとは、比べものにならないくらい、美味しいものだったからです。
   私の家では、大きな葉っぱにのせた食べ物を、使いまわしの小さなお皿にわけ入れてもらい、お皿からそのまま手を使って食べていたのです。
    病院でナイフ・フォークの使い方もならいました。
  こうして、私は、病院での生活によって新しい発見と多くのことを
学びました。
(以下次号に続く)

















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NPOヒューレック研究会「ワクワク」2010」

(2010.5.13.号)
「戦場から女優へ」
5月度・月例会・特別講演録・講師 サヘル・ローズさん
第1章 戦場に咲いた奇跡の青い花

(前号から続く)
3.病院の青い花 
 目を覚ましたとき、最初に私が見た光景は真っ白な天井。
 「ここはどこ?」
  そのとき自分がどういう状態になっているのか、まったくわかり
ませんでした。 
  ただ、体が痛くて動かすことができない。「痛い・・・」
  周りを見ると、たくさんのカラフルな「線」につながれている。
 今にして思うと、それは点滴のチューブ。見たこともなかったので、自分が病院のベッドに寝ているという認識はまったくなかった。
  そもそも私は、病院というものを知らなかったから・・・・。
 右側に顔を向けたとき、花瓶に挿してある色鮮やかな花が目に入ってきました。そのなかの「青い花」がどうしても気になって、手を伸ばしたけれど取れない。
 「はい、これね」
 女性の声がしたので、びっくりして思わず私は「ママ」と呼んだのです。
  しかしそこにいたのは、母ではなく、見知らぬ小柄な女性。こちらを見て微笑んでいます。
 「あなたは青い花が好きなの?」
 私が「どうして?」と聞き返すと、その女性は、こう言ったのです。
 「あなたを発見したとき、目の前に『青い花』があったのよ」
 その時初めて、その女性が私を助けてくれたことを知りました。
 そして、幼いながらも、私一人だけが助かってしまったことも。
 のちに聞かされたのですが、私は、このとき先天的な重い心臓病にかかっていたので、直ちに手術しなければならない状態だったといいます。
  しかし、空爆によって重症を負った体はとても耐えられないということで、手術するまでに半年待たなければなりませんでした。
  その間その女性はずーっと看病してくれたのです。
  その女性の名前は「フローラ」。
  (以下次号に続く)

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